個人的に私はスコア(楽譜)が大好きです。
なぜなら、あのカッコイイフレーズやコード進行を一瞬で弾くことができるから。
厳密に言うと、どうやって弾いているかのヒントを得れるから、といった方が良いか?
速弾きなんかは、何年も練習しているが未だに弾けないwww(MR.BIGのコロラドブルドッグの
イントロとか)
スコアについては、学生時代からいろんな意見を雑誌なんかで見てきた。
本人監修じゃないのは、第三者が採譜(耳コピ)したものだから、正しくない場合がある。
たしかに、その意見は正しい。
耳コピした方がフレージングが学べるし、耳が鍛えられる。
ふむふむ、これも正しいと思う。
偉大なギタリストで楽譜が読めない人は少なくない。そもそもTAB譜なんてなかった。皆、音源を擦り切れるほど聴いて耳コピして上手くなってきた。
全くもって、その通り。
だから、楽譜に頼らないで耳コピしろ!
ちょーっとまったぁぁぁー!!www
決して耳コピを否定したいわけではなく、むしろ耳を使っての練習は必然だと思います。
ただ、そこでスコアを使うかどうかという点では、上達する、しないかは全然関係ないと
私自身は考えています。
スコアを否定するなら、そもそも楽譜ありきのクラシック界を否定することになるのでは
ないでしょうか?ロックなんかより、遥かに歴史を残してきた分野です。
今回はTAB譜か音符かという部分は、無視してスコアというくくりで話したいと思います。
スコアを見ることは確実に時短になります。運指を耳で探る時間が省かれます。
これは、つまり練習に少しでも早く入れることを意味します。
弾けるようになることが目的とした場合、効率的に絶対に得だと思います。
そして、運指がうまくできる様になったら、音源を聴いてニュアンスをコピーすれば
耳コピ派の人が提唱する耳を鍛えることもできるし、フレージングを学ぶこともできます。
耳コピだとしても、スコアを見たとしても音源を研究することは同じで
その中で、スコアの表記と耳で聴いた音に違和感があれば、音源に合わせて指板の位置や
フレーズを私は変えてしまいます。これは、本人監修ではなく第三者が耳コピしている場合
たまにやります。でも、耳が肥えてきてその時聴こえなかった音が、時が経って聴こえてきて
スコア通りになることもあるかもしれません。また、本人映像なんかで明らかに弾いてるポジション
が違うよなって時も本人に合わせます。
ここまで書いててなんですが、耳コピもめちゃくちゃ得るものは当然あります。
時短以外、良い事しかないかもしれないwww
でも、それは別の記事で。
スコアが出ていない曲の場合は、耳コピするしかないですし。
私の大好きな洋楽やギター博士の動画で演奏される曲は特にない。
後者は、是非教則本として全フレーズ、単曲をTAB譜にして出版してほしい。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。