悪女から聖女になった中国四大美人・貂蝉

最近、吉川英治先生の「三国志」を電子書籍で読んでいる。
全然、知らなかったが、戦時中に新聞連載されていた小説だった。
小説より横山光輝先生の漫画がなじみ深く、でも読破はできておらず、ざっくり知ってる程度だった。
漫画で読んだことがあるおかげで、内容が復習の様で入ってきやすいというのもあるが、やはり
著者の文章力の凄さが、読者を惹きつけ活字が映像のごとく脳内に映し出される、そんな小説だ。
また、日本人に理解されやすい様に表現されているから、とても読みやすい。おススメに作品。


架空の人物「貂蝉」

吉川英治「三国志」は、「三国志演義」を元に作られた小説で、史実に基づきつつフィクションの要素
もある。今回、紹介する「貂蝉」も中国では四大美人の一人でありながら架空の存在なのである。
というか、実在しない人物が中国四大美人に入る国っておもしろいなと思う。
三国志の中でも有名なエピソードでありながら、実はフィクションだったというのを最近知った僕。
詳しく見ていきたいと思います。

「連環計(れんかんのけい)」

連環計(れんかんけい、れんかんのけい)とは、中国兵法書に挙げられる兵法の一つで、複数の計で大きな効果を狙ったり、複数の勢力を連立させる等して敵内部に弱点や争点をつくりだし足の引っ張り合いをさせる兵法である。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』より

彼女が大活躍するのは、後漢の末に暴虐の限りを尽くしてた董卓をこの計略で見事に打ち破る
エピソードだ。話自体は超有名なので割愛。気になる方は↓読んでみてください。


ここでは、自身の思うがままに権力を振りかざす董卓打倒の為、養父王允の策略の駒として貂蝉は
自身の身すら犠牲にして計画を実行します。結果、呂布を操り董卓を殺させることに成功。
自身は自害し使命を全うする。
貂蝉の最期については、諸説ある様で吉川・横山三国志は、董卓打倒後、自害し小説では操られていたと知った呂布は、怒ってその亡骸を古井戸に投げ捨てるという衝撃的な結末も。
とにかく、極悪・董卓を女の身でありながら、打ち破り、しかも父への忠誠心や自己犠牲の精神が広く評価され、中国四大美人の一人として現在も聖女として崇められている。
でも、実はこれは後から改変された内容で当初、貂蝉は聖女とは全く反対の描かれ方をしていた。

貂蝉の正体

初めにもある通り、貂蝉の物語はフィクションである。
では、史実ではどうなっているか?
実は呂布は、董卓の侍女と密通(不倫)していて、ここに目をつけた王允が呂布に謀反を勧めて
董卓を討ち取らせる。この侍女が貂蝉のモデルとなっているみたい。

羅漢中の「三国志演義」では、悪女だった貂蝉

羅漢中が書いた最初の「三国志演義」では、貂蝉は呂布の妻として王允の前に現れる。
そして、王允の計画によって董卓と引き合わせて関係を結ばせる。呂布は怒って董卓を討つという流れ。
当時、中国では女性は「不貞」と「嫉妬」が評価を下げる大きな要因となった。
つまり、「不貞」を働いた貂蝉は、悪女として作中では取り上げられていた。
民間伝承の話の中では、その後、関羽に色仕掛けして切り捨てられるなんて物もあるようなので相当印象は悪い。

毛宗崗版「三国志演義」で聖女になった貂蝉

「三国志演義」は羅漢中が書いた物しか知らなかったが、実は清時代に毛宗崗が結構大胆に改編した
「三国志演義」が存在していて、しかも今日本で広く読まれているのは、こっちの方がメインの内容だった。
毛宗崗は、貂蝉の存在を見直した。
たしかに、不貞行為はあったが、女一人で当時の暴虐の董卓を打ち破った行動は評価できると。
そこで、設定を大きく変える。
呂布の妻だったのを市場で売られていた赤子とし、王允に引き取られ養女の様に育てられる。
また芸事を仕込まれ、日本でいう芸子さんになる。
儒教の観点から、親孝行の娘像も色濃く、わが身を差し置いても忠義を全うする姿勢なんかも加えられた。
ここに、聖女としての「貂蝉」が誕生した。

まとめ

見事、養父王允の計画通り呂布に董卓を討ち取らせ、その使命を全うして自害した貂蝉。
何といっても、こんな親想いの健気な女の子を利用して己の計画を実行した王允が個人的には許せないwww
まぁ、その後董卓の残党に八つ裂きにされちゃうのだが・・・
今は、紹介した小説や漫画の他にゲームにもなっている三国志。
作品によって貂蝉のその後も違ったりする。皆さんは、どのパターンが好みですか?

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

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